里芋田村磨呂の心理学解説

心理学の本についてその本ができた背景や作者の事もふかぼりしつつ解説していきます。ぜひ紹介した本に興味をもっていただければなーと思っています。

心理学に一番影響を与えた人物。ヴェルヘルム・ブント紹介(心理学偉人紹介第6段ヴぇるヘルム・ヴント)

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ヴェルヘルム・ブントの写真。長ーいお髭が印象的

 


 

 

 


前話

 


今回の心理学偉人紹介で紹介するのは「実験心理学の父」ヴェルヘルム・ヴントです。心理学史といえば心理学三大巨頭のフロイトアドラーユングが主軸になりますが彼はそれよりもっと前に活躍した人物です。いうなれば戦国時代の北条早雲のような心理学の先駆け的人物です。

※第一回心理学偉人紹介はこちら!!

 

sakanouenotamuramaroyosihisa.hatenablog.jp

※次回の心理学紹介はこちら!

 

マダナイヨ

 

ヴントのプロフィール

 

名前 ヴェルヘルム・ヴント

生年月日 1832年8月16日~1920年8月31日(享年88歳)

出身地 ドイツ マンハイム

心理学学派 生理心理学 民族心理学 実験心理学

彼の功績 世界で初めての心理学研究所を設立

前回の心理学偉人紹介の語呂合わせ

※前回の心理学偉人紹介はこちら!!

 

sakanouenotamuramaroyosihisa.hatenablog.jp

                                 19 3

①ベルヴュー精神病院に勤務しにがまぶしいデイビット・ウェクスラーがいく、サ   

ニーがまぶしい。

 1981 

いくはいっさい何も見ずにデイビット・ウェクスラー死去。

 

 

本編

 

ヴェルヘルム・ブントの歴史

                          

子供時代

ヴェルヘルム・ブントは1832年8月16日にドイツ中南部マンハイムのネッカラウに四男として生まれました。父は牧師のマクシミリアン・ブントで父方の祖父は、ヴィーヴリンゲン(南ドイツ)大学で教授兼牧師を務めている牧師一家でした。

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ヴントは高校時代までは学校と勉強が嫌いで高校時代に落第してしまいました。しかし、1851年(ヴント19歳)にテュービンゲン大学ベルリン大学、ハイデンベルク大学の医学部に入学してからは必死に勉強するようになり、1856年(24歳)に医学博士を取得後卒業しました。卒業後は研究顧問カール・エワルド・ハッセと共に

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200520204022j:plainカール・エワルド・ハッセ(1810~1902)

短期間学んだ後、ハイデルベルク大学の教員に加わり、1858年(26歳)から5年間生理、物理学者のヘルムホルツの助手に就きました。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200520204624j:plainヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ(1821~1894)

そこでヴントは「知覚の理論への貢献」を書くなどをしました。1862年(31歳)から私講師(ドイツで教授職には就いていないが教授免許を持ち教育活動を行う人の事を指す。)として「自然科学から見た心理学」「生理学的心理学」といったタイトルの講義を担当します。1863年(32歳)から翌年にかけては人間と動物の心理学に関する講義を行いました。1867年にハイデルベルク近郊で神学教授を父に持つソフィー・マウと出会いました。ソフィーとヴントはお互いが神関係の仕事をしている父を持っていることから意気投合し、1972年8月14日にキール
結婚しました。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200521090431j:plainドイツの地図。ベルリンより少し上。デンマークの下の方にキールがある。

心理学部時代

1873年(42歳)に「生理学的心理学綱要」の前半を出版し、翌年の1874年(43歳)に遂にスイスぼチューリッヒ大学の哲学の正教授となりました。また、同年にヴントは心理学の歴史の中でも重要な著書「感覚知覚説貢献」をかきあげました。この本は実験心理学の分野について書かれた世界で最初の本でした。

1875年(44歳)にはライプツィヒ大学(ドイツ)に哲学教授として招かれ、その地に腰を据えました。ヴントはこのライプツィヒ大学でエルンスト・ハインリヒ・ウェバーとグスタフ・フェヒナーと共に感覚心理学と心理物理学の研究を始めました。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200521091759j:plainエルンスト・ハインリヒ・ウェーバー(1795~1878)

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200521092742j:plainグスタフ・フェヒナー(1801~1887)

1879年に世界で初めての実験心理学の運用を始め、心理学史の多くではこの時を持って「新しい学問分野として心理学が設立した」とされている。その実験室にはドイツ国内だけでなくヨーロッパやアメリカ、果ては日本の研究者まで集まりました。1879年のヴントの講義では平均2時間、週6日言語心理学、人類学、生理学、宇宙論など幅広いプログラムを行っています。


ヴントの研究はタキストスコープ、クロノスコープ、振り子、電気機器、タイマ-、感覚マッピング装置などの多くの機器を使って行っていました。1885年から1909年までに実に184人の大学生、15人のアシスタントが集まりました。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522154734j:plainヴント研究グループがライプツィヒ大学で行っている実験の様子。真ん中で座っているのがヴント。

ヴントの元で学んだ学生の内70人が海外の人間でした。またヴントの元で学んだ学生が後に有名な心理学者となった例が沢山あります。「無心象思考」の発見者オズワルド・キュルペやエルンスト・ミューマン、実業家でツェッペリン号のマネージャーのフーゴー・エッケナー、「統合失調症」の提唱者エミール・クレペリンアメリカ人には米国心理学の名教授ジェームズ・キャッテルや児童心理学の父スタンレー・ホール。イギリス人にはデイビット・ウェクスラーの時にも紹介したチャールズ・スピアマン、ブカレスト大学の哲学部長コンスタンティン・ラドゥレスク・モトルなどの後に心理学界を背負う人物を多数輩出しています。

 

 ヴントのドイツ人の弟子

  f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522160934j:plainオズワルド・キュルペ(1862年 - 1915年 )

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522161446j:plainエルンスト・ミューマン(1862年~1915年)

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522211327j:plainフーゴー・エッケナー(1868年~1954年)

 

 f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200523121112j:plainエミール・クレペリン(, 1856年~1926年)

ヴントのアメリカ人の弟子

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522191309j:plainジェームズ・キャッテル(1860~1944)

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522162132j:plainスタンレー・ホール(1844年~1924年)

ヴントのイギリスの弟子

 

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200517142141j:plainチャールズ・スピアマン(1863年~1945年)

 

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f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200522210821j:plainコンスタンティン・ラドゥレスク・モトル(1868年~1957年)

しかし、ヴントの論文の多くは翻訳不足やヴントの学生による虚偽の証言のため米国では半世紀ほど間違って伝えられました。

ヴントの死から死後の影響

ヴントは1917年(85歳)の時に引退してからは執筆活動に専念しました。

1920年に彼は急激に衰え、8月の誕生日の直後にドイツのザクセンハイムで亡くなりました。

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現在は妻のソフィーと共にライプツィヒの墓地に埋葬されています。

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また、1991年にアメリカで掲載された「影響を与えた心理学者ランキング」にて米国心理学の祖ウィリアム・ジェイムズ、心理学三大巨頭の一人ジークムント・フロイトを抑えて29人の心理学者が選んだ心理学者堂々の一位を獲得しました。

まとめ

  • ヴェルヘルム・ヴントは1832年にドイツで生まれる。父は牧師だった。
  • 1851年に様々な大学に入学し、嫌いだった勉強を必死に取り組み、医学博士号をとった。
  • 卒業後は短期間学んだ後ハイデルベルク大学で1858年から5年間ヘルムホルツの助手につき研究した。
  • 1862年から私講師として講義を担当する。
  • 1873年にスイスのチューリッヒ大学に正教授として教鞭をとる。
  • 1875年にライプツィヒ大学に哲学教授として招かれる。
  • 1879年に世界で初めての心理学研究所を創設する。
  • 1885年から1909年に約200人の学生を指導し、その中からたくさんの著名人を輩出した。
  • 1917年にライプツィヒ大学の教授を引退し以後は執筆活動に専念する。
  • 1920年ドイツのザクセンハイムで亡くなる。

後書

以上でヴェルヘルム・ヴントの紹介を終わります。彼は心理学の研究だけではなく後の心理学者の教育に力をいれたため、非常に有名な人物となりました。基本的に心理学者はヴントと関わっているといっても過言ではありません。そんな彼ですが日本では宮城生まれの心理学者千葉胤成が持ち帰った資料が東北大学に沢山あるようです。是非一度見に行ってみてはいかがでしょうか。

 

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