里芋田村磨呂の心理学解説

心理学の本についてその本ができた背景や作者の事もふかぼりしつつ解説していきます。ぜひ紹介した本に興味をもっていただければなーと思っています。

アルフレッド・アドラー著作 「なぜ心は病むのか」を読んで①アドラーとはどういう人物だったのか前編

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 前話

 

 



ルフレッド・アドラーというと、近頃では「嫌われる勇気」でアドラー心理学ブームが起きましたね。嫌われてもいいと思える勇気を持ちましょうというような内容の本作を読んで少なからず人生が生きやすくなった。という方も多いのではないでしょうか。今回はそのアルフレッド・アドラーの書いた名著のひとつ、「なぜ心は病むのか  

いつも不安な人の心理」について、ご紹介したいなと思います。

 

 本編

 

 

その前にこの本の著者でありアドラー心理学創始者ルフレッド・アドラーという人について3回に分けてご紹介します。

ルフレッド・アドラーは1870年2月7日に、オーストリア・ハンガリー帝国(今のオーストリア)のルドルフスハイム(ウィーンの区のひとつ、東京でいうところの新宿区みたいなイメージ)で生まれてきました。1870年は近くのフランスとプロイセン(今のドイツ)で普仏戦争が起こった年でちょうどプロイセンが急成長を遂げた年でした。父親は穀物商、母親は夫の仕事を手伝う主婦でした。アドラーは6人兄弟の次男で、上に2歳年上の兄がおり、アドラーはこのような大家族に育て上げられたおかげで自身のパーソナリティー(日本語で人格)が成長し、後に独自の理論を発展させるきっかけになった。と、語ってます。

アドラーは幼い頃は病弱で、声帯のけいれんと、くる病(カルシウムの異常により体がいたくなる病(曖昧))に苦しんでいたのと、4歳の頃に肺炎で死の瀬戸際までたたされた。また、3歳下の弟が生後1年で亡くなったのをうけたことにより、死というものを間近に感じ、医者になる道を決意を小さいうちから固めていたそうです。ギムナジウム(ヨーロッパの学校)に通った後1888年(アドラー18歳)ウィーン大学東京大学並みのエリート校)の医学部へ入学し、1895年(25歳)で卒業すると、ウィーン2区レオポルトシュタット(東京の原宿みたいなもん)で眼科、後に内科の診療所も始めた。そこは遊園地の近くだったので、遊園地で働く曲芸師などのスタッフが沢山やって来ました。アドラーはその中で幼い頃には体が弱かったのにそれを努力して克服し、今はその弱かった部分を強くして活かしている人を少なからず見てきた。そこでここで経験したものが後に「器官劣等性」(自分にはないものに劣等感を覚えること、ハンディキャップ)についてのアイディアのもととなります。

そして1897年(27歳)社会主義に傾倒していたアドラーは、社会主義の勉強会で知り合ったライザ・ティモフェヤーニャエプジュタインと結婚します。

1898年(28歳)でアドラーは最初の著作である「仕立て業のための健康手帳」という、公衆衛生に関する本を刊行します。

1900年(30歳)の時、ジークムントフロイトが出版した「夢判断」を読んだのをきっかけに精神医学に興味を持つようになります。そこで当時は批判的であった「夢判断」についてフロイトを養護する投書(ファンレター)を新聞社に送り、それを知ったフロイトが自分の主催するセミナーに招待したのが二人の交流の始まりと言えます。

 

アドラーの歴史 出生~フロイトとの出会い

         

 

 

次回 フロイトとの出会い~決別 

 

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