里芋田村磨呂の心理学解説

心理学の本についてその本ができた背景や作者の事もふかぼりしつつ解説していきます。ぜひ紹介した本に興味をもっていただければなーと思っています。

分化と統合について調べたオーストリアの真理学者ハインツ・ヴェルナー(心理学偉人紹介小話第1段ハインツヴェルナー)

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頑張って見つけたハインツ・ヴェルナーの写真

 
 今回のブログの趣旨兼前話

 

今回は心理学者の中でちょっと有名な人物について紹介していきます。(その人の情報が十分でない場合や顔の画像が見つからなかった時にこういう風に紹介していきます。多分すぐ終わります。

本編第一弾はこちら!!

 

sakanouenotamuramaroyosihisa.hatenablog.jp

 

本編

彼の功績

 

今回の主役はドイツ出身の発達心理学者ハインツ・ヴェルナーです。彼の有名な功績として挙げられるのは相貌的知覚の提唱と、定向進化の原理ですね。

相貌的知覚というのは乳幼児期(生後一年前後)に全ての実在物を人間と同じ表情や運動・反応を持つものと知覚して、人間と同じ様な表情や情動の形で表現する傾向のこと。例を挙げると幼い子供が花を見て「お花がしょんぼりしてる」と考えることが相貌的知覚です。

定向進化の原理というのは有機体は未分化な状態から分化、統合へと進むという原理です。分かりやすく書くと、生き物は複雑に絡まりあっていない状態から、複雑に絡まりあい、統合へと進んでいくでしょう。という感じです。

 

彼の経歴

子供時代編

 

ハインツ・ヴェルナーは1890年に四人兄弟の次男としてオーストリアに生まれます。親は貿易メーカーに勤めていました。彼の父親は彼が4歳の時に亡くなりますが、預金が大量にあったため貧しくならずに済みます。ヴェルナーは小学から高校までをオーストリアのウィーンで過ごしています。

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学校で過ごしていた時には音楽でのヴァイオリンや科学などに興味をもっていました。特にその時に読んだ進化論に関する本を読んだことでその方面に興味を持つようになり、それが後の大学の専攻に関わってきます。1908年(ヴェルナー18歳)にエンジニアを目指して、ドイツの工科大学に入学しました。しかし、自分は本当にこれをしたいのかと悩むようになり、最終的に作曲家になるためにウィーン大学に入学します。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200519064038p:plainウィーン大学


大学在学中に様々な資料を読んでいく中で哲学と心理学に興味を持つようになります。1913年(23歳)の時には「概念的形態の遺伝的表」という論文を発表します。そして1914年(24歳)に論文「美的楽しみの心理学」を発表し博士号を取得し、卒業します。

 

青年時代

卒業後は知覚心理学の研究者ジークムント・エクスナーの助手として大学に残ります。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200519060335j:plainジークムント・エクスナー(1846~1926)


そして1914年から1917年までの兵役期間を経て、ミュンヘン大学ウィーン大学の両方で研究を行いました。また、同じ年にハンブルクの心理学研究所でIQ概念の創始者ウィリアム・スターンの研究助手に就任します。結局、1921年からハンブルク大学で教授の地位を与えられ、12年間勤めました。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200519060436j:plainウィリアム・スターン(1871~1938)

ハンブルク大学では様々な分野を研究していましたが、特に知覚、スピーチの美的表現力などについて研究をしました。彼は1933年にナチスが台頭してきたことによりハンブルク大学の地位を離れ、最終的にミシガン大学の教授の地位に就きました。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200519061514p:plainアメリカ合衆国ミシガン大学

それから3年間ミシガン大学助成金を受け取りながら、ハーバード大学客員教授になっていましたが、翌年ウェイン郡(アメリカ)のトレーニングスクールで上級研究心理学者としてミシガン州に戻りました。妻の死後、彼は1942年にブルックリン大学の教職を得るためにスクールを去りました。5年後(1947年)クラーク大学で心理学の教授として雇われるために大学を離れました。ここでの彼の在任歴は彼の在任記録の中で一番長く17年(1947~64)勤めていました。

そして1964年の5月14日に彼はウェスト・ミッドランズで亡くなりました。享年74歳でした。

f:id:sakanouenotamuramaroyosihisa:20200519065042j:plainイギリスのウェスト・ミッドランズ

 

まとめ

  • 彼は1890年にオーストリアで生まれる。
  • 幼い頃はお金に困らない生活をし、小学から高校の間ではヴァイオリンや科学に興味を持っていた。
  • 大学時代最初はエンジニアを目指して、工科大学に入っていたが作曲家になる夢を諦めきれず結局ウィーン大学に転入した。そこで様々な資料を読んでいるうちに心理学に興味を持つようになり在学中に論文を書ききり博士号を得た。
  • その後はジークムント・エクスナーやウィリアムスターンの元で研究を続け、1921年からハンブルク大学に勤めた。
  • ナチスの迫害により国外に亡命して以後はアメリカで過ごす。
  • 様々な大学を転々とした後、ブルックリン大学に17年間務めた。
  • 1964年にイギリスで没した。享年74歳だった。

あとがき

以上でのハインツ・ヴェルナー解説を終わります。彼は日本版のウィキペディアに記載がないマイナー偉人なのですが、相貌的知覚などは子供の生態というか気持ちの研究にとってまあまあ重要なことなので是非にこれを読み終えても覚えておいて下さい。

 

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