ゲシュタルト心理学・群化の法則を提唱したドイツの心理学者マックス・ウェルトハイマー(心理学偉人紹介第5段マックス・ウェルトハイマー紹介)
前話
今回の心理学偉人紹介で紹介するのはゲシュタルト心理学の生みの親マックス・ウェルトハイマーです。このウェルトハイマーの出身地はドイツですが後にアメリカに移住しています。彼は1880年に生まれ1943年に亡くなります。1870年のドイツというと普仏戦争でプロイセン王国がフランスをうち破ってその次の年にドイツ帝国が成立した年です。彼が亡くなった1943年では第二次世界大戦で枢軸国が劣勢に立たされ気味な時世で、ドイツの首相はヒトラー、アメリカではフランクリン・ルーズベルト、日本では東条英機が務めている時期ですね。
それではまずはゲシュタルト心理学とは何なのかという人の為に説明いたします。
※第一回心理学偉人紹介はこちら!!
sakanouenotamuramaroyosihisa.hatenablog.jp
※次回の心理学偉人紹介はこちら!
sakanouenotamuramaroyosihisa.hatenablog.jp
デイビット・ウェクスラーの語呂合わせ
今回も前回紹介したデイビット・ウェクスラーの紹介を致しまするで候。
18 96
①いや、くろあちあで生まれたんじゃないのかよ!!デイビット・ウェクスラー誕生。
1949
②いくよくろあちあ(行くとは言ってない)WAIS(ウェクスラー式知能検査)誕生
1974
③いくなよクロアチア(行くなとは言ってない)WAIS改訂版を作る。
sakanouenotamuramaroyosihisa.hatenablog.jp
本編
ゲシュタルト心理学の説明
ゲシュタルト心理学(別名形態心理学)とは心理学派の一つでヴントの主張の反対意見として20世紀に樹立されたものです。ユダヤ系の心理学者が多かった傾向にありました。そのためナチスの迫害によりアメリカに亡命した学者が多かったようです。ゲシュタルト心理学で有名な学者として「洞察学習」のヴォルフガング・ケーラー、ゲシュタルト心理学創始者の一人クルト・コフカ、「リーダーシップスタイル」の提唱者クルト・レヴィンなどがいます。
ヴォルフガング・ケーラー(1887~1967)
クルト・コフカ(1886~1941)
クルト・レヴィン(1890~1947)
この考えが後に知覚心理学、社会心理学、認知心理学に引き継がれました。ちなみにこのゲシュタルトというのをより元の発音に近い「ゲシタルト心理学」と呼ぶ学者もいます。
ゲシュタルト心理学の基礎として「全体は部分より大きいというものがあります。それが分かる例としてウェルトハイマーが提唱した群化の法則について解説します。
皆さんはこの二つの絵をみてどう考えたでしょうか。一枚目は■と●が列で交互になっている。二枚目は○と●が列で交互になっていると考えたのではないでしょうか。ここで模様一つ一つに注目して見たという人や横のまとまりで見たという人ははいないでしょう。このようにゲシュタルト心理学は視覚・聴覚などを部分で考えるのではなく全体として考えられていると考える心理学です。他にも
この2次元の絵(立方体)が3次元に見えるのもゲシュタルト心理学が原因です。
歴史
子供時代
マックス・ヴェルトハイマー(マックス・ウェルトハイマーとも表記)は1880年にチェコのプラハで生まれます。マックスの父ヴェルヘルム・ウェルトハイマーは金融家
で教育に非常に熱心でした。マックスは自宅で政治や教育の議論を行うだけではなくピアノとヴァイオリンのレッスンを受けています。パルーフ・デ・スピノザの本を贈り物として貰ってからは哲学に興味を持つようになり、後に大学で心理学を学ぶきっかけになります。マックスはローマカトリック教会が管理する小学校に5歳で入学し、10歳で卒業すると王立帝国新都市ドイツ州立高校に入学しました。彼はそこで優秀な成績を収めたようです。
大学生になるとドイツのベルリン大学で心理学を学びます。
ゲシュタルト心理学創始まで
ウィーン(オーストリアの首都)からラインラント(ドイツ西部)に向かう汽車の中偶然仮想運動の発想(ゲシュタルト心理学の原点)を閃きます。そしてそのままフランクフルト(ドイツ)で途中下車をしてそのままフランクフルト大学で同じユダヤ系のクルト・コフカとヴォルフガング・ケーラーと共に実験を行います。
ゲシュタルト心理学時代
1912年にケーラーとコフカと共にゲシュタルト心理学の始まりを告げる一冊となった「運動視の実験的研究」を発表します。
1916~1929年までフランクフルトを離れベルリン心理学研究所で仕事を続けます。1923年にマックス・ウェルトハイマーは医師の娘アンナ・カロと結婚し、4人の子供(ルドルフ、バレンティン、マイケル、リス)をもうけます。1929年にフランクフルト大学の教授として戻り、1933年まで滞在します。
1933年にナチスのアドルフ・ヒトラーの台頭に危機感を持ったウェルトハイマーは、ヒトラーが政権を握る前にアメリカに亡命します。そして、ニューヨーク市の新しい社会研究学校で教え始め、約10年間働き続けました。その成果もあってその学校は20世紀の心理学における重要な学校の一つとなりました。ちなみにクルト・コフカはスミス大学で教えていました。
1942年に妻アンナ・リスと離婚し、翌年の1943年10月12日に冠動脈血栓症により没します。彼の葬儀は盛大で、相対性理論で有名なアインシュタインも来たそうです。
没後1945年に「生産的思考」が刊行されます。
後に息子のマイケル・ヴェルトハイマーは有名な心理学者でコロラド大学の名誉教授となりました。
あとがき
以上でマックス・ウェルトハイマーの歴史紹介を終わります。彼は後の心理学のいわば礎を築いた人物です。彼を語らずにゲシュタルト心理学。そこから派生した知覚心理学、社会心理学、認知心理学を説明することはできないでしょう。更に群化の法則の様に新たな法則を沢山生み出した方です。ぜひ覚えておいて下さい。
[http://
にほんブログ村:title]